top of page
執筆者の写真ケイロン・イニシアチブ

研究者の家族もステップアップするために【Cheiron-GIFTS 2020採択者インタビュー③】

更新日:2023年3月21日

「最初の頃、海外での生活は新鮮でした」と研究者の夫に帯同し、ボストンに渡航した富田知英さん。日本で消化器内科の医師として病院に勤務していたが、日本の医師免許ではアメリカで医療行為はできず、保育料も高額で、渡米当初は育児のために専業主婦として過ごしていた。現地に行ってから今後のことを考えるつもりでいた。


海外生活という非日常での気づき


知英さんはもとより英語が好きということもあり、海外に住むことに抵抗はなかった。ボストンには日本人が多く、コミュニティ内での情報共有が盛んだったという。想像していたより、不自由はなかったものの、日本人のコミュニティに偏りがちな面もあった。「せっかくの海外生活なので、いろんな人と関わりたい」、そう思っていた知英さんは、ボランティア活動や近所づきあいなどを大切にしてきた。


そこで新鮮に感じたことが、子どもに対しての現地の人々の対応だった。日本では、子どもと出かけると周囲の目が気になり、時にストレスにもなっていた。しかし、アメリカでは誰もが子どもを受け入れ、可愛がってくれる環境があった。「子どもに対して、とてもウェルカムで『いいんだよ、いいんだよ』って言ってくれる社会の雰囲気を感じ」、母親として深い安心感を得たという。


アメリカでの生活で新たな視点や気づきも多くあった。国籍、ジェンダー、人種などを超えたさまざまな人と関わることで多様性を実感することができたようだ。実際に、小学生の息子の担任教諭が同性婚だったが、その事実を子どもたちが自然に受け入れる環境があった。「日本では世間の目を気にして、同じことが当たり前。アメリカでは個人の選択が尊重され、違うことが当たり前」と知英さんは話す。身近であるからこそ、差別などの社会問題も自分ごととして考えられるようになった。


「違うことが当たり前」の中で、自分は日本人であることが浮き彫りになった面もあるという。日本で暮らしているときは当たり前だと感じていた行動が、この地ではそうではない。例えば、お礼や感謝の気持ちを言葉だけでなく、形でも表すことだ。「違う人たちの中にいると、日本の文化が背景にある自分には譲れないことがあると気がつきました。日本人であることを大切にしたいと思っています」と知英さんは言う。


研究者の夫についていった私


「海外での生活が非日常でなく日常になってくるにつれて、『私のキャリアって何だったんだろう』と考えるようになって、喪失感や焦燥感を持ちはじめました」。研究者の夫が現地でキャリアを積み上げていく一方で、自分だけが取り残されているような気がしたという。そこで、自分も今後につながることに挑戦したいと強く思うようになった。


知英さんは、大学研究室のミーティングや現地研究者のコミュニティに参加するなど行動に移し、ハーバード大学公衆衛生大学院での臨床研究コースの受講を決意した。Cheiron-GIFTSはこの学費に充てられた。


約8カ月のコースを終え、知英さんは現在、日本の大学とボストンの研究機関とのチームで国際共同研究を進めている。在米邦人の高齢期の健康と医療の問題を考え、人生の終末期への意思決定を支援するといった内容だ。日本では臨床医として、これまで研究の経験がほとんどなかった知英さんであるが、「ボストン日本映画祭」に実行委員として参加した際に、映画のテーマであった介護や高齢者医療についてのパネルディスカッションを企画したことが研究のきっかけとなり、ボストンで研究について学んだことがチームに参加する後押しとなったという。


「永住を決めた日本人が老後をどう決断するのか、自分の友人がどうするのか、日本にいるとできないリアリティのある研究です」と知英さんは話す。日本に帰ってからは臨床医として働きながら、研究も続けたいと考えている。


家族の幸せが研究者の力に


現状では、研究者に帯同してきた家族をサポートするシステムはほとんどなく、キャリアや教育の中断、経済的な問題に対する不安も多い。それでも、夫の留学に帯同した理由の一つは、「いろんな家族を見てきたけれど、家族は一緒にいないとだめになる。絶対についていきなさい」という、息子が通っていた保育園の園長の言葉だった。


「現地での経済面を含めた実情について、事前に知っていればなお良いと思います。そういう意味では、帯同する家族へのサポートが一層充実されればと願っています。家族に心配があれば、研究者自身も本来の力を出せないはず。そして、研究者の家族も次につながる経験を海外生活の中で見つけてほしい」と自身の体験をもって知英さんは語る。さらに困っている時は国籍問わずに助け合う環境がボストンにはあり、予想以上に多くの人に助けられた。


「家族で過ごした異文化の中での経験はかけがえのないもので、視野が広がった」と知英さん。海外での生活では、これからの人生の中で糧となるようなさまざまな経験を得られたようだ。




インタビュー:法政大学 経済学部 物理学・科学ジャーナリズム研究室 藤田 貢崇

記事執筆:法政大学 経済学部 大竹 七千夏





閲覧数:762回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page